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八王子家庭教会クリスマスフェスティバル無事終了: Filjapメンバーが出席

2023年12月24日(日)に八王子家庭教会教で開催されたワンファミリークリスマスフェスティバルでは、 LOVE「愛」、HOPE「希望」、PEACE「平和」、UNITY「団結」 というテーマで開催されました。多文化のコンセプトとクリスマスを通じてイエス様の本当の使命は宗教と国境をこえて世界が家族のようになるメッセージは八王子PEACE Center(八王子家庭教会)のビション実現に近づきました。真お母様にお見せしたいイベントです。


二時間半間のプログラムは、以下のリンクで視聴できます。このプログラムはライブ放送され、オンラインで 1,000 人以上の視聴者が視聴し、会場には 400 人以上が参加しました。フィリピン、マレーシア、韓国、パキスタン、バングラデシュ、米国、一部のアフリカ諸国、そしてバレンズエラから来た多くの外国人が代表を務める国際コミュニチを含む伝道の場でした。


メインスピーカーである国際家庭部の飯田智史部長が語ったクリスマスメッセージは以下に掲載します。


Youtube録画ライブ配信へのリンクです。 待機部分をスキップしたい場合は、実際のプログラムは録画ビデオの 17分30秒 から始まります。



イベント全体のテーマを紹介するオープニング映像です。


飯田智史部長によるクリスマスメッセージ:

クリスマスの思い出も多々ありますが、アメリカでのことを思い出します。私はしばらくアメリカでみ旨をしていました。シカゴにいたんですけど、初めてクリスマスを迎えた冬、クリスマスギフトをたくさん買って車を駐車して、10分ほど店に行っていたら、その車の窓ガラスが割られて、全部持っていかれたことがありました。ああ、ここは日本とは違うと思いました。アメリカの人がいたらすいません。


 

悪い思い出ばかりではありません。シーズンになると、家々がライトでデコレーションを始めるんでけど、ある町に行くと、どの家も無数のライトで飾られていて、町全体がキラキラになっているんです。家族や食口と一緒にその街に車で行って、ゆっくり運転しながら、一つ一つの家の飾りを見て回るというツアーをしていました。大きな木のある家の前で車を停めて、その家の前で皆で写真を撮ったりしていました。


 

私は幼少の頃からイエス様には尊敬の気持ちがありました。何故かというと、入った幼稚園がキリスト教の教会だったからです。私の父がクリスチャンであったというわけではありません。父は熱心な仏教徒で、その気になれば住職もできた人でした。そんな父が私を行かせた幼稚園が教会だったのです。なぜそこに行かせたか?一番近かったからです。その幼稚園では日曜学校もあったんです。そしてクリスマスの劇もしました。私の役は羊飼いでした。脇役だなと子供心に思っていましたが、それに大きな意味があったなと思うようになったのは30年後でした。羊飼いは牧師だからです。私も神学校を卒業して牧師になったので、あれは啓示だったと思っています。もし、父が私を教会に行かせなかったら、イエス様を尊敬することも、神様について考えなかったかもしれませんし、この道にも来ることもなかったではないかと思います。ちなみに、父の影響で仏教の開祖、仏陀も大変尊敬しています。

 

今日はイエス様の誕生を祝う日ですから、イエス様の話をします。クリスマスはイエスキリストの誕生日と言われますが、実は違います。イエス様の誕生日ではなく、誕生をお祝いする日です。イエスの生まれた日はよくわかっていなかったんですね。何故12月25日にお祝いするようにしたか?ローマ暦による冬至であったからとも言われていますし、ミトラ教という宗教があって、その宗教のお祝いの日が12月25日だったので、それを使うようになったという話があります。イエス様の誕生日はいつか知っていますか。真のお父様は1月3日とおっしゃっています。アダムが生まれた日が1月1日として、イエスが3日、父母様が6日だと収まりがいいですね。


キリスト教では、イエス様は死ぬために来られたと考えられています。しかし、それは結果から考えた理論です。イエス様が救世主であるという確信から、イエス様はなすべきことをなされたと考えました。しかし、イエス様は道なかばで霊界に逝かれました。本当はイエス様は真の父母になるために来られました。イエス様は独身で霊界に行かれるのでなく、結婚しなければならず、真の父母にならなければならなりませんでした。しかし、それが実現しなかったため、個人としてなしたことがすべてであると考えられました。

 

真の父母になれなかったことが、キリスト教が個人救済を特徴とする宗教として残った理由です。最近、ローマ法王も妥協して、同性愛の婚姻を認めるというニュースが出ていましたが、これもキリスト教が個人をベースとしている教理的限界を象徴していると思います。結婚ということについてしっかりした観がないし、神様が父母であるという観点がないので、こうなります。お母様が言われるごとく、キリスト教は時代的にもその役割を終えていると考えられます。

 

しかし、イエス様は受け入れられない中でも最大限のことをされ、道を開いてくださいました。十字架にかかる時も、人類を許していかれました。しかし、十字架ですべてがなされたのではありません。もしイエス様が復活しなければ、現在のキリスト教はありませんでした。復活して40日間信徒たちと会ったのです。キリスト教は復活の宗教です。

 

しかし、イエス様の復活だけでは、今日のキリスト教にはなり得ませんでした。忘れてはならないのが、ペンテコステです。マルコの家の屋根裏部屋に集まった120人の集団が共に祈りを捧げている時、聖霊が降りて来た出来事です。彼らは自分たちの言葉でない言葉、異言を話したといいます。そこで、信徒たちは完全に天と一つになる心情を体恤しました。そして、爆発的伝道が出発したのです。本来聖霊は実体として現れるはずでありましたが、そうはなりませんでした。摂理が挫折して、イエス様だけが実体として現れました。しかし、イエス様と聖霊によって多くの人々が霊的に生み変えられ、キリスト教が発展したのです。今イエス様だけを祝っていますが、本当は、聖霊を祝う日があってもいいではないでしょうか?実体がないとどうしてもこうなってしまいますね。

 

イエス様は「私はまた来る」と言われました。神のみ旨は変わらないことを知っていたからです。しかし、いつ来るかを言いませんでした。けっこう時間がかかることを知っていたでしょう。しかし、イエス様の言葉に嘘はありませんでした。お父様のみ言では西暦800年にもメシヤを送るチャンスがあったそうですが、それは実現しませんでした。2000年経過しましたが、その時は訪れました。イエス様は再び来られました。神は再臨主を送られました。そして神は今度は聖霊をもこの地に実体的に誕生させられました。初臨の聖霊である真のお母様です。再臨主と初臨の聖霊によって、実体的真の父母になることができました。それが1960年であり、その時から初めて原罪清算、血統転換の摂理をすることができるようになりました。


 

今日、2000年前にイエス様の為したかったことが為されいます。今まで再臨主と初臨の聖霊が現れるまで、必死に2000年を導いて来たイエス様でした。イエス様が生まれなければ何も始まらなかったし、イエス様は受け入れられなかったけれど、み旨を捨てず、つないでくださいました。イエス様の誕生を祝い、イエス様を慰労するため、感謝の拍手を送りましょう。


そして、真のお母様は人類史上初めて現れた実体聖霊です。イエス様によって、個人としてのメシヤのイメージは人類に浸透していましたが、夫婦として、父母としてのメシヤのイメージがありませんでした。今私たちは夫婦としての、そして父母としてのメシヤのイメージをまざまざと見ており、このイメージは天の父母様のイメージでもあるのです。そのことに感謝しましょう。

 

かつて、ペンテコステが起こって天と聖徒が一つとなったように、私たちは実体聖霊であるお母様と一つとなって、天と一つになり、奇跡を起こしていきましょう!





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