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【説教資料】2023年12月

■低学年:みんなが待ち望んだイエスさまの誕生【未来人材局教材】

イエス様は今まで登場してきた聖書のなかでも特別な人です。なぜならば、イエス様は「神様の子」だからです。

「神様の子」として生まれ来るイエス様は、特別な使命を持っています。その使命とは、アダムとエバが、神様との約束を破ってしまったために、人間の心に入ってしまった、悪い心を、すべてなくす、という使命です。そのために、イエス様はメシヤとして、サタンと闘って勝利しなければなりません。今日はそんな、特別な使命をもった、イエス様の誕生のお話しです。


ナザレという町にマリヤという女性がいました。マリヤはとても心の美しい人で、神様のためならどんなことでもします、という正しい心をもっていました。そして、マリヤは、ヨセフと言う人と結婚の約束をしていました。ある時、神様の使いである、天使ガブリエルがマリヤの前に現れて「おめでとうございます。あなたは男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。その子は神の子であり、王様となるでしょう」と、言いました。マリヤは驚きながらも「神様のおっしゃる通りにいたします」と、受け入れたのでした。


当時は、結婚していない女性が、子女を産むことは、「死刑」になります。それでも、神様のことを愛していたマリヤは、神様の言葉を信じ受け入れました。そして、マリヤは、神様の言う通り、妊娠をしました。妊娠というのは、お母さんのお腹に赤ちゃんの命が宿ることです。


夫のヨセフは最初驚きました。自分とまだ結婚していないマリヤのおなかがどんどん大きくなっていくのです。

ヨセフは最初信じることができませんでした。すると、ヨセフのもとにも天使がやってきて、ヨセフに言いました。

「心配しないでマリヤを妻として迎えない。マリヤのお腹には神様の子がいます。そして名前をイエスと名付けなさい」

ヨセフは神様の言葉を信じました。


マリヤは、お腹が大きくなってくると、夫のヨセフと一緒に、自分たちの生まれ故郷であるベツレヘムに帰りました。

しかし、どこも宿屋はいっぱいでしたので、二人は仕方なく、馬小屋に泊まることになりました。その夜、神様と人類が長い間準備して待ち望んだ神の子イエス様がお生まれになりました。神様はどれほど喜ばれたでしょうか。


本当ならアダムとエバが神様の子供として神様と一緒に住むはずでした。しかし、アダムとエバは神様との約束を破り、神様の下から離れていってしまったのです。神様はどんなにさみしかったでしょうか。そして、この日、神様の子供としてイエス様が誕生したのです。


イエス様が産まれた時、いろいろなところで、奇跡が起きました。

ある場所では、羊飼いたちが、夜、羊の番をしていたのですが、そこに、神様のみ使いが現われて「おそれるな。きょう、ダビデの町に神の子がお生まれになった。」と、言いました。驚いた羊飼いたちは、喜んでイエス様のもとにかけつけました。

また、東の国には、星の事を研究している三人の博士たちがいました。この博士たちは、星の動きを見てこれから起こる出来事を知ることが出来るひとたちでした。特別に輝いている星がでたら、偉大な王さまがお生まれになるという昔からの言い伝えがあったのですが、ちょうど、イエス様がお生まれになった時に、とても大きく輝く星を見つけたのでした。そして、その大きく輝く星は、自分たちよりも先に進み、イエス様のお生まれになった所で止まりました。博士たちはひれ伏して拝みました。そして、黄金、乳香、没薬というプレゼントをイエス様に捧げました。


イエス様が産まれた時、多くの人が喜びました。そして、イエス様が産まれた日を喜ぶことは、今でも行われています。それが、12月25日のクリスマスです。イエス様が産まれたのは、いまから約2000年前です。2000年前に生まれた人の誕生日を、世界中の人が、クリスマスとしてお祝いをするのはなぜでしょうか。


それは、イエス様が神様の子供だからです。イエス様がお生まれになった時、どれほど神様が喜ばれたでしょうか。

この時、この地上に初めて、「神様の願いを理解してくれる子ども」が生まれたのです。これから、イエス様が誕生されてから、どのような歩みをされてきたのかを学び、私たちもイエス様のように天の父母様の誇れる子女となっていけるように頑張っていきましょう。


■高学年:独り子イエス様と洗礼ヨハネ【未来人材局教材】

イエス様はメシヤとして来られました。さて、メシヤの目的は何でしょう?


一つ目は、本当の神様を伝えることです。これまで、ノアやアブラハム、モーセなどの多くの預言者がいましたが、本当の神様を伝え切ることはできませんでした。それは、神様の子女ではないからです。イエス様は神様の子女なので、本当の神様を伝えることができるのです。二つ目は、アダムとエバが失敗した、本来の神様の家庭をつくり、堕落した人間を救うことです。そうして、この地上に天国を実現することが、神様がイエス様を独り子として送られた目的でした。その目的を達成するために、神様はイスラエル民族を教育してきました。イエス様は、そのイスラエル民族の基盤の上で、来られました。


そのイエス様が、メシヤとして地上に天国をつくる為に大事な役割をする人が、洗礼ヨハネでした。洗礼ヨハネは、どのような人だったかと言うと、荒野で修道生活をし、神様の為に、国の為に、これから来られるであろうメシヤの為に多くの涙を流し、ユダヤ民族の中でも、彼こそがメシヤではないかと、噂されるくらいの方だったのです。


当時、ユダヤ民族は、ユダヤ民族の中にメシヤが来られるという預言を信じていました。また、メシヤが来られる前に、メシヤを証しする「エリヤ」という人物が来るという預言を信じていました。エリヤは、メシヤが来られた時に、ユダヤ民族がすぐにメシヤに従っていけるように、ユダヤ民族をまとめ、メシヤのもとに導く使命を持っていました。その様にして、神様は洗礼ヨハネを、イエス様を証しするエリヤの再臨の使命者として準備されたのでした。


洗礼ヨハネがイエス様と出会ったとき、洗礼ヨハネは、体を水に浸す、ユダヤ教の悔い改めの儀式である洗礼を、人々に授けていました。そして、イエス様もその洗礼を受けに来られたのです。その時の様子が聖書では、このように書かれています。

「すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。また天から声があって言った、『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である』」(マタイ3.16~17)

洗礼ヨハネがイエスに洗礼を授けると天が二つに裂け、聖霊が鳩のような姿で現れ、神様の声が聞こえたのです。そして、神様ご自身が、イエス様は私の息子であると教えて下さったのです。そうして、洗礼ヨハネも、イエス様のことを人々に証しました。


このように、神様が堂々と教えて下さったからには、疑いようがありません。洗礼ヨハネも、はじめはイエス様のことを信じていました。でも、そのような状況は段々と変わってしまいました。

 

イエス様がメシヤとしてユダヤ民族の前に立つためには、洗礼ヨハネは、神様を信じ愛する条件と、ユダヤ民族との間でカイン・アベルとして人を愛する条件の、二つの条件を立てなければなりませんでした。この条件のことを、原理の言葉では信仰基台と実体基台といいます。


洗礼ヨハネは、荒野での歩みを通して、神様を信じ愛するという、信仰基台を立てることは出来ましたが、イエス様を不信しました。そうして洗礼ヨハネが、ユダヤ民族をメシヤにつなげるためのアベルの位置を離れたためユダヤ人たちは実体基台を立てることができなくなったのです。


洗礼ヨハネは、神様から直接イエス様が神の子であると伝えられたにも関わらず、イエス様のことが信じられなくなっていきました。

そして、ユダヤの人々から「あなたは、エリヤですか?」と尋ねられた時に、エリヤではないと答えてしまったのです。ユダヤの人々は、メシヤかもしれないと言われているような洗礼ヨハネと、まだどんな方か正体が分からないイエス様のどちらの言うことを信じるでしょうか。ユダヤの人々は、洗礼ヨハネの言葉を信じてしまったのです。

 

結局、洗礼ヨハネはイエス様を不信し、エリヤの使命を果たすことができませんでした。そして、神様の願いを果たすことのできなかった洗礼ヨハネは、イエス様とは関係のない別のことで首をはねられ、悲惨な最期を遂げることになったのです。 

洗礼ヨハネがイエス様を不信し、離れていく姿を見て、イエス様や神様はどのような心情だったのでしょうか。考えてみてください。


洗礼ヨハネがエリヤの使命と責任を果たせなかった為、メシヤであるイエス様ご自身が、洗礼ヨハネの代わりにもう一度、メシヤを迎えるための基台である、信仰基台を立てなければならなくなったのです。イエス様は、荒野で40日間の断食祈祷を通して、侵入したサタンを分立する条件を立てなければなりませんでした。そして、40日の歩みを無事に終えられる前後に、サタンが三つの試練を与えてきました。しかし、イエス様は、つらい環境の中でも、サタンの誘惑に負けることはありませんでした。そして、その試練を越えることで、神様を信じ愛する条件である、信仰基台を立てることができたのです。


イエス様は、人間始祖が堕落してから、初めて誕生した神様の子でした。そして、メシヤとして来られましたが、洗礼ヨハネという大事な人物が、神様から願われている責任を果たせなかったことによって、メシヤとして来られたイエス様ご自身が、洗礼ヨハネの道を行かなければならなくなりました。


皆さんにも、必ず神様が与えた役割や責任があります。その役割や責任は何だろうか?と日々考えながら、洗礼ヨハネのように神様を悲しませることのない私たちになれるように、これからも頑張りましょう。


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